【都市伝説】一年生になったらの怖い話や歌詞の意味を調査

 

これから新生活をスタートさせる新小学一年生に送る歌として、親しまれてきた歌「一年生になったら」が、実は怖い話が歌詞の意味の中に隠されているという都市伝説があるとか。

一年生になったらの歌詞のどこに怖い話がかくされているのでしょうか。

本当の歌詞の意味は違うのでしょうか。

「一年生になったら」について、調査してみました。

この歌の生まれたときの背景と合わせて調べてみたので、チェックしてみてくださいね。

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「一年生になったら」の歌について

「一年生になったら」は1966年に発表された童謡です。

作曲は山本直純、作詞はまど・みちお。

50年以上たった現在の幼稚園や保育園などの卒園式でもよく歌われています。

まずは一年生になったらの都市伝説を知る前に下記で歌を復習してみましょう。

 

一年生になったらはどんな歌?

 

ともだちをたくさん作って楽しい小学校生活をおくろう!という元気いっぱいの歌ですね。

2011年には、作詞家のまど・みちおさんが、「一ねんせいになったら」のタイトルで、絵本も刊行されています。

一年生になったら、ともだちを100人作って、100人で笑いあったり、富士山の上でおにぎりを食べたり。

楽しいことをいっぱいしたいという元気の出る歌です。

この、「一年生になったら」のどこに都市伝説につながる怖い話や怖い意味を持つ歌詞が隠されているのでしょうか。

 

「一年生になったら」の都市伝説

ともだちを100人作って、ともだち100人と富士山の上でおにぎりを食べたい。

素敵な夢ですが・・・でも、おかしいですね。

友達100人と富士山でおにぎりを食べるとなれば、自分も入れて101人になるはずですが、一年生になったらの歌詞では100人になっている。

ということは、一人足りないですよね。

ここから、「一年生になったら」は実は怖い話が隠されているという都市伝説につながったようです。

 

【都市伝説その1】戦時中に間引かれてしまった説

実はこの歌は戦時中に作られた歌。

ともだち100人のうちの一人は、ハンディキャプがあったため、大人たちによって「間引かれて」しまい、残された100人で、その悲しい思いを乗り越えようとした歌であるという説。

 

【都市伝説その2】戦時中空腹のため仲間をたべてしまった説

戦時中、空腹だった子供たちが仲間のうちの一人を殺して食べてしまったので、100人になってしまった。

おにぎりは実は食べてしまった仲間のことを指していて、「おいしかったよ」「おかげで生き延びられたよ」という説。

 

【都市伝説その3】101人目は座敷童だった説

たしかに101人いたはずなのに、一人足りなくて100人しかいない。

実は101人目は座敷童だった!という説。

 

【都市伝説その4】一人は行かなかった説

怖い話が隠されているのではなくて、一人は病気で休んでいけなかったとか、100人いれば一人は行きたがらない人がいるものだし、現に一人行きたがらなかったので、富士山に登ったのは100人だけだった、といった説。

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検証!【都市伝説】「一年生になったら」

いろいろな都市伝説があるようですが、下記で詳しく都市伝説をみていきましょう。

はたして、この4つの都市伝説は本当なのでしょうか。

 

【都市伝説その1】戦時中に間引かれてしまった説

戦時中、日本中が正常ではない状態になっていた時、こんなこともあったのかもしれません。

今では考えられませんが、この当時は現代では考えられない「仕方ないこと」もあったようです。

たとえば、「ともだち」を「動物」に置き換えると、あてはまる出来事もたくさんありますね。

 

【都市伝説その2】戦時中空腹のため仲間をたべてしまった説

戦時中に間引かれてしまった説とおなじように、もしかしたらそんなことがあったのかも知れません。

自慢できることではないけれど、罪の意識から歌にして残ってしまうことも十分考えられます。

戦時中で食べ物が少なく生き延びるのに精一杯であったため、友達を食べてしまった。

現代では考えられませんが、実際に飢え死にしそうな空腹の人間がいたとすれば、ありえなくはないのかもしれません。

 

【都市伝説その3】101人目は座敷童だった説

 

百物語のようで、あるようでないようで、とても怖いですね。

「間違いなくいたはずなのに!」という説です。

年代を問わずあり得る話で、本当の意味でも怖い話だと思います。

101人目は居たのに見えていなかったのでしょうか・・・

歌詞が怖いと一番感じられる説です。

 

【都市伝説その4】一人は行かなかった説

怖い話ではなく、歌詞の意味の中に、「あるある」が隠されているという説です。

同じ都市伝説でも、これは大歓迎あっていいわ!と思わせられる説ですね。

101人もいれば一人ぐらいタイミングの悪い人や、出不精がいてもおかしくはありません。

怖い話が苦手な人からすれば、イチオシの説です。

 

「一年生になったら」の生まれたころ

ところで、都市伝説には戦時中と言う言葉が多くでてきましたが「一年生になったら」は本当に戦時中に生まれた歌なのでしょうか。

第二次世界大戦は1939年~1945年で、作詞家のまど・みちおさんも33歳の時に徴兵されています。

「一年生になったら」が発表されたのは1966年。

東京オリンピック(1964年)開催後の歌です。

高度経済成長期・真っただ中に作られた歌なので【都市伝説その1】【都市伝説その2】のもととなった、「戦時中に作られた歌」ということ、そのものに合いません。

確かに、作詞家のまど・みちおさん自身が戦争に参戦されていますが、国内で疎開も経験されていません。

なので戦時中に作られた歌というのは考えにくいといえます。

 

一年生になったらの歌ができた1960年代とは?

 

1966年は60年に一度の「丙午(ひのえうま)」の年。

この年に生まれた女性は気性が荒く、亭主を殺してしまうといわれており、日本国中で出産を控えたために出生率が大幅に少ない年でした。

子どもが少ない中で、友達を100人作るのは確かにとても大変なので、応援歌を出したくなるのかもしれません。

歌詞の意味が怖い意味を含んでいて、あるかもしれないのが、【都市伝説その3】、怖くはないけれど、「あるある」なのが【都市伝説その4】ということになりますね。

 

真相その1:ともだち100人は「ざっくり大量」

古木の「樹齢100年」と同じように、「一年生になったら」の「ともだち100人」の歌詞の意味も、わかりやすく言えば「ざっくり大量」という意味。

きっちり100人とカウントするわけではないので、だいたい100人くらい(沢山の友達)と考えられないでしょうか?

例えば、花見見物客が20万人として、20万人かどうか正確な数値ではありません。

「20万人規模」「20万人くらい」と言ったところです。

ともだちが何人目のともだちか、カウントする人が実際にいるわけではないように、「一年生になったら」の歌詞の意味する「ともだち100人」というのも「ざっくり大量」と考え、友達をたくさん作りましょうねというエールと考えるのがこの歌の真相に近い気がします。

 

真相その2:101人も99人も言いにくい

切りのいい数字は歌詞として使いやすいので、厳密にして「101人で食べたいな」とすると、フレーズとして今一つ。

ざっくり100人にした方がはるかにすっきりします。

「100人で食べたいな」を優先して「ともだち99人」にしても、やっぱり言いにくいですね。

「一年生になったら」は歌いやすい歌なので、数合わせや意味を優先するよりも、すっきりしたフレーズであることが優先されるのでしょう。

また子供が歌う童謡としてでている歌なので、覚えやすさを考えると101人より99人より100人の方がはるかにわかりやすいと言えます。

 

まとめ

「一年生になったら」は戦時中に作られた歌で、悲しい出来事・怖い話が歌詞の中に隠されているとして、歌詞の意味の中に101人目がなくなったことを暗示しているという都市伝説があります。

ですが実際は高度成長期真っただ中に作られた歌なので、この都市伝説にはあてはまりません。

怖い話とする都市伝説としては、座敷童説、あるある都市伝説としては一人来なかった説が有力かも。

実際のところとしては、「ざっくり100人」「歌いやすいからまとめて100人」と考えるところですが、都市伝説として深読みするなら、座敷童説もあるある説も、残したいですね。

その他の都市伝説については

都市伝説記事一覧

をチェックしてくださいね。

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