「交差点を曲がるたびに右側通行を意識しなくちゃいけなくて大変だった」
アメリカから帰ってきた父親の言葉ですが、ご存知の通り日本の車は左側通行、アメリカは右側通行です。
今回はそんな日本の左側通行の理由と刀の関係性について、歩行者の右側通行についてご紹介いたします。
日本の左側通行の理由は刀にあり?
日本の左側通行はいつから始まったのか、残念ながら始まりの時期についてはわかりません。
しかし江戸時代の1690~1692年の間、日本に滞在したドイツ人医師のケンペルさんが残した書物には「日本は左側通行が徹底されていた」との記述があります。
つまり江戸時代で日本の左側通行は完成していました。
江戸時代といえば武士、刀ですね。
日本の左側通行の理由としては、この刀が一番の理由となっています。
当時の日本は現代以上に狭い路地が多かったのですが、人と人がすれ違うのであればそこまでの不便はありませんでした。
しかし刀を差した武士となれば話は別です。
刀を納めた鞘は腰の左側に差し、この鞘同士がぶつかることを「鞘当て」と言い、早い話が「喧嘩を売る行為」となってしまいます。
肩がぶつかっただけで物騒な事件に発展する昨今ですが、当時は刀を持った武士ですから、最悪の場合はつまりそういうことになりますね。
こうしたトラブルを避けるため、左側に差した刀の鞘が当たらないように左側通行を徹底した武士の行動が、日本が左側通行である一番有力な理由とされています。
明治時代に入ると交通法において正式に左側通行が定められています。
この交通法はイギリスをお手本に作成されているため、日本の車が左側通行になっているのもイギリスを倣ったことが理由です。
車は左側通行でも、歩行者は右側通行?
車は左側通行、歩行者は右側通行。
警察官に訊いた場合もこう帰ってくるかもしれません。
しかしこれは正しいような正しくないような、解釈が割れる部分ではあります。
というのも道路交通法の第二章で「歩行者は、歩道又は歩行者の通行に十分な幅員を有する路側帯(次項及び次条において「歩道等」という。)と車道の区別のない道路においては、道路の右側端に寄つて通行しなければならない。ただし、道路の右側端を通行することが危険であるときその他やむを得ないときは、道路の左側端に寄つて通行することができる」と定められています。
わかりやすく言うと「歩道や路側帯がない場合、歩行者は右側通行」と定めているので、逆に言えば「歩道や路側帯が存在していれば右側通行である必要はない」との解釈もできます。
しかし「歩行者は原則として右側通行である」と解釈される場合もあり、しばしば言い争いが起きたり起きなかったり。
そんなわけで、交通法の解釈で変わってしまう歩行者の右側通行ですが、文面だけで判断すれば「歩道や路側帯がない場合は右側通行、歩道もしくは路側帯がある場合は右側通行に限らない」と解釈すべき…なのでしょうか。
これより詳しい話は法律家の方におまかせします。
世界に右側通行が多い理由
イギリスと日本、その他の国でも左側通行の国はありますが世界的、特にヨーロッパは右側通行の方が多いです。
しかし昔は世界どこに行っても道路は左側通行でした。
そもそも昔から人口の9割は右利きのため、左側通行で右側を大きく空けておいたほうが歩行者にしても防御したり武器を構えたりと、危険察知や緊急回避の面でやりやすかったのです。
ではそんな便利な左側通行を右側通行に替えたのはというと、ナポレオンだという説が有力です。
「史上最大の交通インフラ整備を行った」と言われるナポレオンはフランス革命が行われている1792年、フランスや征服した地域へ正式な法令として右側通行を定めたという記録があります。
ちなみに左側通行であるイギリスも日本も、ナポレオンには征服されていない地域です。
ナポレオンが右側通行を定めた理由は諸説ありますが、有力なのはナポレオンが左利きだったという説です。
右側通行はナポレオンが自身を守るために設けた防衛策だったのかもしれません。
日本の左側通行、右側通行まとめ
江戸時代の日本では、刀の鞘が当たらないようにという理由で左側通行を行っていました。
現在ではちゃんと法律として車は左側通行が定められています。
歩行者の右側通行は難しいところで、歩道や路側帯がなければ右側通行を行うべきでしょうが、歩道などを歩いている際は右側通行には限らないようです。
歩行者の右側通行については「前方からの車に早く気づけるように」という理由もあるそうなので、車が来ない歩道などにおいては、規則以上に歩行者同士の譲り合いの精神が必要になるのかもしれません。
それでたまにバスケのディフェンスみたいになるんですけどね。
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