「鬼は外、福は内」
この掛け声を聞いて「今年も甲子園の季節か」なんて思う人はいないでしょう。
この掛け声といえばもちろん節分の豆まきです。
そんな有名な豆まきの掛け声ですが、地域によってはいろいろな違いがあります。
今回は地域によって違いがある節分豆まきの掛け声と、その意味と由来についてご紹介します。
まああれですね、豆知識ってやつですね、豆まきだけに。
節分の季節なら100回は見るギャグですね。
節分豆まき掛け声いろいろ
人生や女だっていろいろなら、豆まきの掛け声だっていろいろ違いがあります。
地域で違いがある豆まきの掛け声と意味はこんな感じです。
「鬼は内、福は内」
群馬県藤岡市鬼石(おにし)地域。
もともとは鬼石町という町が群馬県多野郡にありましたが、2006年に藤岡市へ編入されて消滅してしまい、今では地域の名前としてだけ残っています。
なんとなく地域の名前から察せられるように、この地域の由来には鬼が関係していて、その由来をざっくりと説明しますと以下の通りです。
困った村人は旅の途中の弘法大師に退治を依頼。
弘法大師が読経し護摩をたくと、鬼は大きな石を投げて逃げ出し、この石が落ちた場所が鬼石町となりました。
鬼、家に入れたら駄目じゃないの?
そんな疑問がありますがそれはさておき、鬼石地域のように地名に「鬼」がつく地域、近くに鬼を祀っている神社がある地域、鬼が救ってくれた逸話のある地域などは、節分の豆まきで「鬼は内」の掛け声を使います。
地域ではないですが、苗字に「鬼」がつく人(鬼塚、鬼沢など)や鬼を祀る宗教を信仰している人たちも、節分の豆まきで掛け声は「鬼は内」です。
鬼頭さん家に入れなくなっちゃいますし。
この掛け声を題材にした昔話を読んだことがありますが、昔話が由来の掛け声を題材に昔話が作れて永久機関の完成ですね。
「鬼、外」
決して節分の豆まきを初体験する外国人向けの掛け声というわけではないですし、脱字でもありません。
ちゃんと「鬼、外」です。
過去に丹羽(にわ)氏が藩主だった旧二本松藩領内(現在の福島県二本松市)の一部地域では、「鬼は外」の掛け声だと音が「おにわそと」になってしまい、これが「お丹羽、外」となってしまうのを避けるため「鬼、外」の掛け声を使う場合があります。
要は藩主に敬意を示すために豆まきの掛け声をアレンジしたわけですね。
節分豆まきと掛け声の意味・由来
名曲だからこそ歌い継がれるわけで、使われ続ける豆まきの掛け声にもそれなりの意味と由来があります。
節分は「季節を分ける」という意味があり、各季節が始まる日の前日のことを言います。
つまり実際は春夏秋冬で4つの節分がありましたが、江戸時代以降は立春(2月4日)の前日のことを「節分」として各種行事を行ってきました。
季節の変わり目は風邪を引きやすいですが、昔はそれよりも厄が入りやすいとされていました。
邪気を追い払い、福や運を招き入れるために「鬼は外、福は内」の掛け声と豆まきを行うようになりました。
ちなみに当時豆まきは男性のみの特権でしたが、今ではそんな規則はなくなっています。
昔は米や麦、炭などもまかれていましたが、今では豆まきがスタンダードです。
これは収穫量が多く、鬼にぶつけた時の音や粒の大きさが適当だからとされていますが、定かではありません。
また、邪気を追い払うために行う豆まきなので、お払いを行った炒り豆や神棚に供えた炒り豆を使う地域もあります。
豆まきに炒り豆を使うのは、「旧年の災厄と一緒に撒いた豆が芽を出さないように」という意味があります。
節分は豆まきではなく…
北海道・東北・北陸・南九州の地域では節分に豆まきではなく「落花生まき」を行います。
さらに社寺や地域によっては餅や菓子、みかん等を撒く場合もあり、「落花生は大豆より拾いやすく、地面に落ちても実が汚れない」という理由で行われています。
とっても合理的な考えですしお餅食べたいです。
節分の豆まきと掛け声まとめ
季節の変わり目である節分に、厄払いとして行われる豆まき。
地域によって掛け声の違いはあれど、無行息災を祈るという意味だけは変わりません。
「自分の地域って掛け声が違う地域だったんだ」
という方は、その由来を詳しく探ると節分がもっとおもしろくなるかもしれません。
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