世間どころか世界が驚愕したSMAP解散報道。
私も初見のときは「あまりにも非現実的な報道だ」なんて思っていたのですが、本当のことだと知って腰が抜けました。
信じられないのは私以上にファンたちで、CDのセールスを伸ばすことで存続して欲しい思いを届ける活動まで展開されています。
日本内外の芸能に影響を及ぼすジャニーズ。
しかしジャニーズのメンバー脱退は今回のSMAP解散が初ではありません。
今回は元ジャニーズメンバーの脱退理由とその後、そしてそんな元ジャニーズメンバーに囁かれる黒い噂や裏話を見ていきましょう。
脱退した元ジャニーズメンバーとその理由
華やかな芸能界にジャニーズメンバーとして存在する。
そんな勝ち組真っ盛りな立場から脱退を選んだ元ジャニーズメンバー、その理由とはどんなものだったのでしょうか。
森 且行(もり かつゆき)・元SMAPメンバー
解散報道の渦中であるSMAPの元メンバーで、1996年にSMAPを脱退。
ジャニーズ事務所からも脱退したその後にオートレースの選手となったのは有名で、ジャニーズを脱退した現在でも「森くん」の愛称で親しまれ、ファンがオートレース会場で出待ちをするほどの人気を誇っています。
脱退理由はその後の職業からわかるように、森さんがオートレースの選手に転身を決めたためです。
「SMAPとオートレースの選手の二股はしたくない」との理由から、契約満了の1996年5月31日をもってSMAPとジャニーズ事務所からの脱退となりました。
SMAPのリーダーである中居さんにさえ相談しないで決定した森さんのSMAP脱退に、ジャニーズ事務所とは喧嘩別れをしたと噂されていますが、SMAPメンバー全員は仕事の忙しい合間を縫って脱退当日に森さんの家に集合。
6月1日になると同時に、芸能人から一般人となった森さんに祝福の言葉を贈っています。
そのときに森さんが「もう髪の毛はいらないからみんなで切って」との提案があり、風呂場で即席の断髪式を行っています。
これはオートレースの養成学校に入るための条件が丸刈りだったためでもありますが、あえてSMAPメンバーにやってもらったのは森さんなりの脱退のケジメでもあったのでしょう。
その後はオートレース選手としても順調な活躍を見せ、中居さんと約束した「オートレースで絶対スターになる」を実現しました。
郷 ひろみ(ごう ひろみ)
無知で申し訳ないのですが、調べて初めて郷ひろみさんが元ジャニーズだと知りました。
小さい頃から美少年で、1971年の映画オーディションでジャニー喜多川さんにスカウトされてジャニーズ事務所へ。
フォーリーブスのバックダンサーとして人気を得て、このとき観客から「レッツゴーひろみ」の声援があったのを理由に芸名としています。本名は原武 裕美(はらたけ ひろみ)さんです。
瞬く間にジャニーズのトップアイドルとなりましたが、1975年にジャニーズ事務所を脱退し、バーニングプロダクションへ移籍しています。ちなみにこの年は、ジャニーズ事務所が法人組織「株式会社ジャニーズ事務所」となった年です。
脱退理由は「自分は実力不足だからスキルアップをしたい」とする郷さんと、「スキルアップはブームが落ち着いてから」とするジャニーズ事務所の意見が合わなかったからといわれています。なんとも郷さんぶれないですね。
その後の活躍については言うまでもないでしょう。ちなみに郷さん脱退後のジャニーズ事務所はやっぱり大変だったとか。
小島 啓(こじま ひろむ)・元TOKIOメンバー
無人島を開拓する大工集団、ではなくデビューから20年のジャニーズ重鎮TOKIOの元メンバー。
1989年にジャニーズ事務所に入り、SMAPのバックダンサーも務め、若干加入は遅れたもののTOKIOの初期メンバー。
山口達也さんよりも先にTOKIOへメンバー加入しています。
有望株と目され、CDデビューが間近に迫った1984年に突如メンバーから脱退、芸能界を引退しています。
「メンバーとの不仲説」「パイロットを目指す」「親と約束した期限」などなど理由はさまざま囁かれましたが、結局脱退理由は不明のままで、幻の6人目のTOKIOメンバーとして今も語られます。
小島さんが脱退して空いた穴を塞ぐため、主にタンバリンを担当していたサポートメンバーが正式加入。これが長瀬智也さんです。
小島さんのその後についても詳細はわからず、まさしく幻のメンバーとなっています。
見た目はかっこいいよりもかわいらしかったとの声があり、プロフィールは1976年10月24日生まれ、血液型はAB型の千葉県出身で、TOKIOのメンバーだった頃はボーカルとギターを担当していました。
元ジャニーズの中でも異彩を放つ人物です。
元ジャニーズメンバーの黒い噂・裏話
ジャニーズほどの大手、そしてそこに所属するアイドルもしくは元ジャニーズとなれば、黒い噂や裏話など星の数。
その中からいくつかをご紹介します。
SMAP解散危機の一度目は森さん脱退
芸能界に比類なき衝撃を与えたSMAP解散報道ですが、森さんのSMAP脱退が発表された際、中居さんは香取さんに対し「解散しようか?」と言っています。
これが一度目のSMAP解散危機と中居さん自身も語っていて、この発言がされた2014年の27時間テレビの中で、SMAPメンバー全員「解散は何回か考えた」とも語っています。
ひょっとしたらメンバー1人脱退でも解散を考えるほど結束が強いため、SMAPはそれだけ割れやすいものなのかもしれません。
詐欺で逮捕されていた元ジャニーズ
デビュー前のV6と同時期に活躍していた元ジャニーズの榎本悠太さんは、残念ながら容疑者になっていました。
詐欺内容は架空の会社から解雇されたと偽り、失業保険を不正に受給していました。
しかし受け取った約60万円のうち大半は共犯である西田一旗被告らに渡り、榎本悠太容疑者が実際に受け取っていたのは3万円程度でした。
元ジャニーズから容疑者へ、残念ですが犯罪は駄目ですね。
他にもジャニーズ脱退後に罪を犯してしまう元ジャニーズはいて、華やかな世界から一般の世界に帰ってくると対応できなくなると噂されています。
元ジャニーズの裏話「ジャニーズでも恋人はいます」
1997年に活動を停止したジャニーズグループ「忍者」は紅白にも出場経験があります。
その元メンバー古川 栄司(ふるかわ えいじ)さんが語る裏話です。
当時のジャニーズといえば簡単に外出もできないと思われますが、古川さんは結構な回数恋人と会っていたそうで、当時は光GENJIやSMAP、TOKIOのメンバーにも全員恋人がいて、堂々と会っていたそうです。
地方に行ったらマネージャーが寝静まってから公衆電話で恋人に電話をかけ、なんとその電話にはファンからもらったテレホンカードを使っていたそうです。
これは古川さんが取材で趣味を訊かれ「テレカ集め」と答えると、ファンから何千枚、何万枚とテレホンカードが送られてきたからだそうで、「時効だから言えます」と笑って語りますが、当時このことがファンにばれたらと思うと恐ろしい…
しかし今なら携帯電話ですが、公衆電話とは時代を感じますね。
まあ私のテレホンカードはいまだに現役ですけども。
1988年に少年隊へ憧れてジャニーズ事務所へ。
光GENJIのバックダンサーを務め、1990年に忍者のメンバーとなる。
忍者のメンバーの中でダンスは一番下手だったが、対して歌はとても上手く、シングル「日本」ではメインボーカルを務め、語りかけるような甘い歌声を披露した。
1990年に同じく忍者のメンバーだった志賀 泰伸(しが やすのぶ)さんと忍者のメンバー、ジャニーズ事務所から脱退。
グランクリュコンサルティングに移籍し、その後に芸能界を引退。
芸能界への復帰を狙っているそうです。
元ジャニーズ事務所を脱退すると芸能界復帰が難しい?
元SMAPメンバーの森さんがあまりテレビに露出しないのはオートレースに集中しているせいもあるでしょうが、ジャニーズ事務所を脱退すると芸能界復帰が難しいと噂されます。
というのも、森さんがSMAPを脱退以降、写真や映像が一切出てこないという部分からそうした噂になっています。
もちろんこれは森さんに限ったことではないため、ジャニーズ事務所を脱退すると完全にテレビから「消されてしまう」と噂され、これはジャニーズ事務所を脱退する者への鉄の掟とも言われます。
実際は肖像権などを配慮しての行為かもしれないですし、そんな掟があるかはわかりませんが、大手であるジャニーズ事務所だからこその黒い噂でしょう。
元ジャニーズメンバーの脱退理由とその後まとめ
今回のSMAP解散報道はもちろんですが、ジャニーズメンバーの脱退報道というのは必ず誰かを悲しませてしまうものです。
しかしそこにいるのはジャニーズである前に一人の人間なので、何か思うことがあっての決定なのでしょう。
脱退を止めたいファンの心理もあるでしょうが、元ジャニーズとしてのその後の活動を応援してあげたいファンの心理もあるでしょうから、厳しい板ばさみです。
ただ、理由がわからないことで黒い噂などが立ってしまうのは極力避けていただきたいですし、挨拶として可能な限り理由を聞かせていただきたいですね。
そうすれば、その後の活動も応援しやすくなるかもしれないですね。
吉本行こう。。
吉本で4人引き取ろう
大変、興味深く拝読させていただきました。
ジャニーズ脱退者を語るには
過去の事とはいえ、ジャニー喜多川氏の人間としての本質に触れずして、語る出来ないと思います。